少年よ大志をいだくな?
多くの人はこう考えたことがあるでしょう。
総理大臣になりたい。政治家になれたらすごいだろうな。会社の社長になることは憧れだ。有名人になりたい。ロックシンガーになりたい。大スターになったら気分がいいだろう。
そして実際に、会社の経営者になったり、それを目指したりしている人もいるでしょう。
最近ではテレビでお笑い芸人がもてはやされているから、芸人になりたいという若者が増えていることでしょう。
一発、売れれば大金持ちになれるのですから。
(お笑いがもてはやされているのは、現代が不景気だからだ。不景気だと人は笑いを求める。よって、芸人が必要とされるのである)
しかし、もし「世に台頭しようとすることが悪いこと」と言ったらどうしますか。
これもケイシーのリーディングですが、
『大望は--神の坩堝(るつぼ)で精錬されない限り--それ自体では罪である。それは、人は大望を持ってはいけないと言っているのではない。むしろ、神は私を導いてくださるに違いないといえるような大望を持つことだ。 [349-17] 』
これは何を意味しているのか?
つまり、人間が将来の夢を持つ時、それが我欲ゆえなのか、神の意志に則していることなのか、ということが重要だ、ということなのです。
もし、あなたが金銭だけを目当てに大望を抱いたとしたら、それは邪悪な我欲となります。
芸人やタレントたちが名声を求めて騒いでいたら、それも動機が不純ということ。
つまり、金儲けのために会社を設立したり、有名になりたいから歌手や役者になるとか、名誉が欲しいから政治家や医師、教師、警官を目指すのは悪だということなのです。
多くがこのような動機で行動していることでしょう。
そして現代の世に台頭している多くがこのような低い志でその地位にいるのでは?
自殺を見過ごした教諭とそれを隠ぺいしようとしている学校という縮図がニュースになっていますが、そのようなことが起こるのも皆、教師というものが負の大望を持っているから。
政治家に碌なのがいないのも、それが理由。
では「大望を神の坩堝で精錬しなければならない」とはどういう意味か。
神の炉で焼かれ、溶かされ、金が純金として延べ棒になるには、火で不純物を取り除く必要があります。
「火」とは神の原理のことで、神とはかならずしも人を助けるものではなく、魂を助けるために人そのものを苦しめることがあるのです。
つまり人が罪なことをしたり、邪悪な心を持っていたら、神の意志として苦難を強いられることになるということです。
その苦難、病気や怪我、人生の苦しみなどが「火」であり、その苦しみから学び、心が純化されることが人を丸くするのです。
だから、人が大病したりして、人格が変わったように丸くなることは非常に良いことなのです。
反対にそうならなかったら、その人は神の「謙虚になれ」という言葉を聞いていないということで、苦難は続くのですから。
ですから、人が苦難から学び(逆切れしたり、反発することなく)、謙虚になり、やさしさを自分の物にした時、その人から「自分さえよえければいい=エゴ」というものが排除され、その人は他人のために活動しようとし始めるようになるわけです。
それが「火で精錬される」ということなのです。
全ての人の志はこのようでなければならず、
特に政治家、医師、教師、警官など権威には試金石が置かれるべきだと思うし、全ての人間がこれを理解し、社会を構築して行くべきだと思うのです。
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