失望したままではいけない。その都度、立ち上がる人を神は助けてくれるのだから

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と、ケイシーは申していました。

誰しも挫折はあるでしょう。落ち込みもあるでしょう。病気になることもあるでしょう。
しかし、それは自分に何か、行ないに不備があったからかも知れません。
どんな問題も自分の内に見つかるからです。
(他人からこうむった嫌がらせは、自分の過去生にまで、さかのぼらなければならない場合もあるが)

であるなら、自己を振り返り、過ちを繰り返さないようにして、
上記のように、再び起き上がるのです。心を向上させるということです。

建設的な目的を持ち、未来に希望を持ち、休息と仕事のバランスを取り、
一度にではなく、徐々に階段を上って行くつもりで。

極端はいけません。その場限りの情熱をたぎらせても長くは続かないでしょう。だから、少しずつでいいのです。
少しずつ、自分のバランスを取り、働き過ぎていたら、休み、だらけすぎていたら働き、

笑顔を作る努力をし、暴飲暴食を止め、体が健康になるよう、食事に気を使い、適度な運動をし、
あまり悩み過ぎず、
一歩一歩、階段を上るわけです。

神社というのはよく、高台に造ってあって、うんざりするような階段を上って行かねばなりません。
しかし、それを怠っては本殿にいつまでも到達しないのです。

そしてそのためには誰でも一歩一歩なのです。
特別な要人やスターだからといってヘリコプターの送迎はありません。誰も平等なのです。地球の人生もこのようで、スターも金持ちも贔屓されません。

そして、落ち込んで、立ち上がれないほど叩きのめされても、立ち上がるしかないのです。
そうすれば、主=神は助けてくれる、
我々の前駆者ヨハネはそのようにアドバイスしてくれているのです。

しかし「ただ善良であるだけではいけない。心と行ないを持って善を行なわなければならない」

つまり、自分が、~自分は善良だと思い込んでいるだけではなく、行ないで示さなければならないというわけです。
それは大きなボランティア活動をしろということか? 救命病棟で日々、人の命を救う仕事をしなければならないのか? 最善はそのようなことをすることでしょう。

もしそれが出来ればそれに越したことはありませんが、直ぐにそのような位置に身を置くことが出来ないなら、触れ合う人に丁寧な言葉づかいをし、笑顔を持ち、苦難にある人を励ますだけでも、大きな前進となるのです。

また「行ない」とは「しない」ことも含む言葉です。
矛盾するようですが、「暴飲暴食をしない」というのも「暴飲暴食をしないという行いをする」ことなのですから。

ですから、姦淫をせず、人をぞんざいに扱わず、悪口を言わず、
自分を心の牢獄に閉じ込めないことも「行い」の1つなわけです。

そして徐々に、人生を歩みながら、人助けを出来る人間へと成長することです。
「困った状態にある人を助けること」これが「愛」なのです。
(それは家族、親兄弟に対するものでもいい~そう考えると身内の老人の介護で疲弊してしまった人というのはそれを行なった人なのかも知れない)
だから愛が人生の目標ということも出来るわけです。

そのようになることが成長であり、人生が存在する意味でもあるわけです。



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